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新聞の読者投稿欄についての意見

私は常々新聞の投書欄に疑問を持っている。

よく見ていただくと、毎日10代の青少年、引退された高齢者の意見がほとんどである。「現役世代」はほとんどない。現役世代から批判的な記事や、新しい意見が示されていることはほとんどない。

30-40代の人が、意見をもっていないわけではない。考えている人は考えている。企業や公的機関を公然と批判したくても出来ない状況下にあるだけだ。一見言論の自由が保証されている世界、時代に暮らしているように見えるけど、さにあらず。飲み屋での議論と2ちゃんねるでの批判に終わってしまうから、「お前ら意見があるなら顔をだして、実名で意見を言えよ」と相手にされず、意見はなかったこととなる。

意見を投書欄でいうには、実名投稿が原則である。XX市XXXX(会社員 XX歳)と新聞に出るのである。
情報社会、グローバル社会のなかで、関係はありとあらゆるところにネットワークが張り巡らされている。
住所、職業、年齢、実名までさらして、企業や政治批判をするには相当の覚悟がいる。
何かと無関係である存在は極めて少ない。「風が吹いたら桶屋が儲かる」方式でつながっている。

いかなる正義や真実も現役会社員から投書されることはありえない。取引先の批判を実名で出来る人がいるだろうか?ましてや産官学は当たり前、自治体や省庁と企業とのコラボ事業も当たり前、地域の産官交流は当たり前、公の仕事をアウトソーシングするのも当たり前。企業間は独自開発を極力減らし、提携し部品の調達を相互に依存している。それぞれが独立していれば、意見は言いやすい。でもそうではない。ネットワークのせいで個人の意見は八方塞がりだ。「風を吹かせたら桶屋経由で自分が吹っ飛ぶ」時代なのだ。公務員も、自営業も温度差はあっても一緒だ。

これが社会を停滞させている原因だと思う。現役世代、社会の中心となるべき世代が意見が表出出来ない社会。現役世代は自分の世代や次世代のことについて現役世代が表明や批判をできないのだ。私の友人のなかにも、何かの議論になったとき、「その問題はサラリーマンの立場ならそれ以上はいえない」とか、「おれはサラ公だから」とか「こういうことをしたけど、サラリーマンとしてはやむない」という話が出てくる。私も会社員だから、いろんなしがらみがある。新聞に投稿したことがない。何を言われるかわからないから。でも、サラリーマンであることが社会に向き合う前提でいいのか?これは自問でもある。

高齢者は言いたいことが言える(意見からわがままな意見まで)。主婦も比較的言いやすい。ティーンエイジャーは青臭くとも正論を言える。だが中核の人は言いにくい。
最近の政策を見ていると、高齢者には配慮を、子供には教育を、主婦には子育て支援を、生活困難者には支援を、と分かりやすいところの議論はよくされている。しかし、今税金を払い、これから財政難の時代に突入していく我々世代の政策ははっきりしていないし、恩恵も受けている気がしない。自営も含め企業は必要経費を込みで所得がなければ税金を払わない。私たちの世代は「今大丈夫なんだから、あなたは強者なのだから我慢しなさい。それにどうせ意見も言わないじゃないか」と言わんばかりである。こんな状況が続くと政治や社会への無関心を育て、現役世代の社会参加を阻害する要因にますますなっていくのではないか?

自社記事に署名がなくてもいいのに、原稿料を支払う人はペンネームや作家名や芸名でもいいのに、その他の一般人はすべてをさらせ、ておかしいでしょ?新聞各社には投書はペンネームも仮名も認めるべき。あるいは本名を出さなくてもいい議論のコーナーを拡大すべし。社会の中核の意見をもっと堂々と出せれば、世論は渦巻き集約され、世間が動くんじゃない?従来の新聞からステップアウトしたような新聞(サンケイエクスプレスみたいな感じ)にそんなものができたら読者にも投稿者にもなるのに、思う。

GIVE’em enough rope!


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