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原発不稼働による経済構造の変更について [経済]

原発に支えられている街の経済が動揺している。
原発がなくなって、民宿が立ちいかなくなる。原発労働者はどうするのか・・・
苦しいのはよくわかる。
その人たちを否定するわけでも、非難するわけでもない。

ただ、虚心坦懐に考えてみれば、地元の方たちは原発誘致に乗った。
あるいは、その町は原発誘致派の町長、町議を選び、原発誘致に踏み切った。
そしてこれまで潤ってきた。
ここまでは紛れもない事実であろう。民主主義に則って、選んできたのだ。
当時から危険かもしれない、とされていたにもかかわらず、だ。
それには後悔も、反省もあるかもしれないし、どのような誘致団対ができて
パワーバランスがあったかは外部からはわからない。
息子を地元に引き留めたかっただけかもしれない。
しかし受け容れたのだ。

1979年に稼働開始、以降1993年まで4基が建造された。
1979年3月27日が稼働開始日で、翌日の3月28日がスリーマイル島の事故だったのは
皮肉であるが、スリーマイル以降も、チェルノブイリを経ても受け入れ続けてきたというのも事実。
今、町の経済が窮乏しているのも事実。
残念ながらリンクしているのだ。

町の経済は33年に渡って潤ってきたのである。
昭和20年を起点とすれば33年後は昭和53年である。
高度経済成長を経て、オイルショック後まで来ている。
時代の変遷、経済構造変貌という意味では、原発特需は決して短くない。
33年を経て、町の経済構造の変更を迫られるという期間は経済サイクルのタームからすると
これまた決して短くない。

京都の街は戦後和装文化の衰退で老舗の「おおだな」がたくさん倒産した。
周辺の縮緬の産地やら、国内の生糸の生産も含め業界が打撃を受けた。
需要が減って、産業が衰退する。これはしようがない。
原発出張者がなくなって、民宿が減る。
炭坑町に私たちは同じような構造を見てきた。
停めようがない。

その時が来たのだ。
金の為に危険産業を受け入れ潤った町が、危険認定され問題があるとされた
「地場産業」を金の為に続けてくれ、というのはちょっと無理がある。
安全と言っているのは政府の口先だけであるのだから。

危険負担をさせられた、との言い分も大いにあるだろう。
でも、結果論だが、断るチャンスはあったのだ。
断っていれば、日本のエネルギー政策も変わっていたかもしれない。
「たられば」はない。起こってしまった以上は。
人生とはそういうものだ。
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