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英国女性殺人事件にみる司法に対する不信 [正義]

1人の女性を、強姦して殺した。
これを日本では傷害致死罪として扱う、と弁護士はいう。
これを日本では「殺人だけど一人しか殺してないから死刑に出来ない」と検察は言う。
法律では殺人の罪において、何人殺したら死刑、とは描かれていない。
検察は、自主的に、判例に敬意を表し、死刑回避を選んだのである。
つまり、判例を受けたもの=過去の殺人犯との平等を重視している
ということになる。
被害者、法を守っているものに対しての平等ではない。
強姦され、殺された女性の心には平等でない。

私は少なくとも、「人を殺したら死刑になる」と教えられてきた。
盗む、その他法律違反も同様に罰を教えられてきた。
善良な市民(少なくとも犯罪をおかしていない市民)との平等性
は検察の主張と関係ないところにあると言わざるを得ない。

刑法とはそもそも復讐を国家の管理下で秩序だって行われるものである。
復讐は、復讐を呼び、無用の混乱や戦乱、抗争を呼ぶ。
それを回避するためのもののはずだ。
なぜなら、復讐心に見合わず、被害者があきらめや抑制をしなければ、
復讐や仇討は個人の道徳の中で正当化されるからだ。

検察とは事実を間違いなく把握し、罪の重さを法律に従い適用される
べき刑を確認し、裁判所で申し述べ、主張するのが仕事である。
すなわち、被害者、遺族の復讐に見合う罪を主張し、立証するのが
仕事ではないのか。
それに対して弁護士はこれこれこういう事情や、殺意や、関係や、精神
状態があったので刑を軽減するのが正しい、あるいは、違法でない、
事実と違うという所以に無罪と主張するのではないのか。
そして、双方の意見、事実認定を裁判官、ならびに裁判員が決する
というものではないのか。

ところが、今回の求刑では、最初から判例=過去の殺人犯との平等を
求刑の理由として挙げている。まずこの点がおかしい。
検察が過去の殺人犯の量刑に敬意を払う職権等我々は与えているつもりはない。
それは国民にたいする傲慢だ。法律に従うべきだ。
殺人は、暴動内乱首謀者等に並んで、死刑が採択されているもっとも
重い罪の一つである。最高刑原則で、情状を確認する作業が常道と思う。
過去の殺人犯との平等にいちいち敬意など払うから「一人しか殺ってないから、
真面目にしてたら出てこれる」と言い放つ輩が出てくるのだ。

我が国では終身刑も累積刑もない。死刑に準ずる抑止力はいつか出てこれる刑
しかない。「死刑になる可能性」のもつ抑止力を判例で着々と崩している。
情報が行きとどいた社会では恩恵を受けるものが知識として知るのは犯罪だけに限らない。

検察、弁護士、裁判官が同一の見識をもち、裁判に臨む、という制度は
まっとうである。それぞれが見解が違うのもよい。
しかし、法律に従わず、自ら判例主義に陥っている制度、となるなら再考せざるを得ない。
原子力ムラ、ならぬ司法ムラ、というならば。
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