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原子力~39年後のエネルギー予測について [原発]

昨日、報道ステーションを見て、えらいことだ、と思ったことがある。
再生プルトニウムが実用段階に入るのは2050年以降だということだ。
プルトニウムの原料だか、そのものだか知らないが、未使用で実用化されるまで39年保存しなければならないということか。
ものにもならないエネルギーに何兆円も積立金を作るらしい。現在3兆円、毎年4000億程、国のタンス預金にしている勘定だ。

それにもまして、驚愕するのは、政府、国家、官僚は危険性のため研究を停めているエネルギーが、38年先に使えるという予測をしているという点だ。ナシーム・ニコラス・タレブ氏に従えば絶対に予測不能なはずだ。
そして危険を国内に抱くために、積立をし、危険物保管の膨大なコストをかけているということだ。

このニュースの異常性は、39年後の未来を予測しているところにある。
よく震災を、戦後の復興や、戦後の焼け野原と比べる論調がある。
戦後の焼け野原は1945年だから、そこから39年後は1984年だ。

今、手元に1983年の宝島1月号がある。戦後から38年後の本だ。
プルトニウム使用再開に照らしてみれば、ちょうど再開1年前、準備万端でテストが実施されている頃だろう。

技術面の話題として、CDプレーヤー、CDの商品化が本格化するという記事がある。
現代から考えれば古めかしい話だが、当時としては最新の技術だ。私も何100枚か、LP/EP盤を持っていたが、坂本龍一氏が当時持っていたレコードのうち、買い換えのきく者をすべてCDに買い替えた、ときいて驚いた。(塩化ビニールの肉っぽさは捨てがたいものはあるから、教授もちょっとは悔やんだんじゃないか?)その頃の話だ。
1945年時点で、レーザーが実用化され、レーザーが音楽を読むことに使われ、デジタル処理した音楽が聴こえてくるプラスチックの板が発明されるなんてこと、誰が考えただろう。それどころか、直前まで私たちはA面とB面を裏返し、傷がつかないように扱い、50分程度しか入っていないメディアを後生大事に収集していたのだ。

歴代のコンピューターの専門家でさえ、そんなものが記録媒体として登場するなんて思っていなかったはずだ。
1945年から20年たった60年代の映画で見られるように、パンチ式のテープがコンピューターの主流で、そのあとは磁気テープだった(機械の向こうでカクカクぎこちなくまわっているあれ)のだから、いかに突拍子もないものが生まれたか、ということだ。80年代前半の大学のコンピューターの授業では、コボルがどうのこうのという、プログラミングの基礎を、黒い画面に緑色の字で打ち込んでいた。

さらにレーザーはそのような利用のために発見されたのではないという(この辺はタレブ氏のウケウリだ)。

いまからさかのぼれば、39年前1972年、万博が終わって2年後だ。ニューヨークドールズも現役だ。
私は6歳だったが、テレビは重厚なものが主流だった。クーラーはその2年後位に初めて家に着いた。うちの車はパブリカ1000で、しょっちゅうバッテリーは上がっていたし、冷房もなかった。親戚のおっちゃんの車の、一般的なオーディオは8トラで、4-5曲入ったものだった。洋式トイレはなく、魚屋や八百屋の包み紙は新聞紙だった。
SF映画やドラマではすでに宇宙に移住しているはずだったが、今のところまだ一度も行ったことがない。

それ程未来の話の予測を国はしようとしているのだ。
私が若いころの映画で、アーノルドシュワルツネガー主演の「トータルリコール」を今見ると、人類の進歩に感動する。
未来の地下鉄にはいくつものテレビが設置されている。未来を夢想させるシーンだ。
しかし、笑いを禁じえない。設置されているテレビはすべて、巨大なブラウン管式のものなのだ!
あんなものが地下鉄にいくつもぶら下がっていたら邪魔でしようがない!
しかし、ほんの少し前であれば、十分未来を夢想させるシーンだっただろう。それ程私も未来について知らなかったのだ。では、その映画がつくられた時、国の高級官僚や政治家が、あのシーンをみて「未来的ではない。もっとテレビはコンパクトなものになるのに、あるいはシート状の画面になるのに」と予想しただろうか。まだごくごく一部の科学者の夢物語に過ぎなかったのではないか。

そのころはまだ女の子に電話をすれば、親に取り次いでもらわないといけなかったし、テレビ以上の電気的なメディアはなかった。電気的なもの以外でのテレビ以上のメディアは、テレビに映っている場所にいき、実体験する自分自身と目の前の現実だけだったかもしれない。野球場でも、旅行でも、バンドでも。

「10万年後の安全」についての映画が公開されるそうだ。そんなもの見るまでもなく、私たちは20年ばかりの未来を夢想できなかったことがわかっている。思っているほど進歩もしないし、ある分野は予想をはるかに上回って進歩が浸透している。携帯電話もPCも。
だから、「ひょっとしたら」というレベルではプルトニウムは実用化されるかもしれない。
しかし、戦後の主流の石炭式蒸気機関車は39年後には電車に代わっていた。
やっぱり、危ないものはもう必要ない。
それとも、今、私のような素人が語っているのに、またまた想定外、とでもいうのだろうか。

そして、積立金を、事業停止資金と、復興・補償資金に使うのが妥当だろう。

未来を汚染する可能性がある事業に就職してしまい、失業する方には同情を禁じえないが。









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