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「がんばろう 東北」に休日を [地震]

悪夢の3.11からもうすぐ2か月。
被災者の方々が地震、津波、原発、余震と耐えがたきを耐えておられる。

全国、世界各地から物資や支援が届く。誰も休む暇などない。
皆さん生きるのに必死だ。だから動き続けられる。だから私は心配だ。

「がんばろう 東北」。今の日本の旗印だ。
東北を元気づけよう、がんばってもらおうという気持ちはわかる。
スポーツを通じたメッセージや、歌もいいだろう。
ただ、ちょっとそろそろ「がんばれ、がんばれ」と言いすぎない方がいいかもしれない。

ニュースやワイドショーを見ていると、何でも話題になりそうなことに食いつき、「大変な中、こんなことをされています」「この方はこんなにがんばってらっしゃいます」と取材が繰り返され、力強く戦う人々が取り上げられている。取材を受ける方たちに落ち度はない。それどころか、気丈で立派なことをされていることは称賛したいし、応援もしたい。しかし、大半の方々はそこまでたどりついてないのではないだろうか。

私は、その映像を見て「全国からの支援の声に私は応えなければいけない。がんばらないといけない。寝てなんていられない。」とせきたてられている方のことを心配している。
家を流され、親、子供、家族を亡くし、友達を失い、田畑を放射能で失い、町が亡くなった人々。普通なら一つのことが起こるだけでも精神的に疲弊するのに、それが一挙に押し寄せた方がたくさんいるのだ。

まだ震災から49日が明けたところだ。仏式ではまだ亡くなった方をようやく送りだしたところである。
まだ、心の傷が癒えず、がんばれない人はたくさんいる。休む時間がいるはずだ。あまり「がんばれ!がんばれ!」と私は言いたくない。
その中でがんばらざるをえない方には、本当に気の毒だと思うが。

そろそろ、一般市民を取材対象にしたり、避難所をカメラが動きまわることをやめる日をつくれないか。
常に人の目にさらされて平気な方は東北にそれほどいらっしゃらないはずだ。
「おばあちゃん、どうですか」「子供の日はどうですか」「1か月おくれの学校の感想は」毎日カメラで撮らなくったって、聞かなくったってわかるじゃないか。
子供や老人が、マスコミの期待どおりに応えようと模範的解答を探しているのが気の毒でならない。マスコミに応えるために「がんばる」のをやめさせてあげられないか。

「なんとか休んでもらおう、東北」の日とか、「少しでもゆっくりしてもらおう、東北」の日とか何か、静けさをもって休める対策はないものか。

「がんばれ!がんばれ!」はマッチョ過ぎて、まだ受け止められない人にとっては重荷で気の毒だ。

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